自然な出会いで新しい世界をプロデュースするアウスリーベジャパン株式会社

代表 石井宏幸からのメッセージ

一日にして光を失ったって本当?

うん。手術が上手くいかなくてね

最後に見たものは何なの?

オペ室のライトだろうね。
最後にきちんと見て覚えているのは、
どこにでもあるチョコレートケーキ

日常から切り離されたってこと?

そうじゃなくて、
見える見えないは連続してるってこと。
不運かもしれないけれど、決して不幸じゃない

そこにどういう意味があるの?

闇を知るからこそ、
小さな灯、つまり夢や希望が生まれた時、
その尊さを知るということかな

強がっているように聞こえる

そうかもね。
ただ一つ言えるのは、未来は閉ざされもするけれど、
自分で切り開くこともできるということ

突然の失明・・・失意の底から新しい夢へ

19歳の時に医者から言われました。「あなたは深刻な緑内障です」と。見えなくなるなんて、その時はずっと先、老いた頃だろうと思っていました。
サッカーが子供の頃から好きだったので、日本代表にあこがれ、フランス・ワールドカップ出場をかけた日本vsイランをマレーシアまで行って応援しました。そう「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれる歴史的試合です。フランス・ワールドカップに仲間と一緒に行ったり、サッカーチームを結成して充実した日々を送っていました。それは、つかの間の平穏だったかもしれません。

でも現実は容赦ありません。28歳の時に、一日にして失明してしまいました。スポーツマネージメントを勉強しようとして、ロンドンに留学する直前でした。
28歳で失明して、いくつもの夢を奪われ、その後の1年間は、何も見えない、世界の深淵に続く洞窟をただ一人うつろでさまよっていいるようでした。生理的機能が働いていた他は、何を考えたり、何を感じて過ごしていたのか、記憶があいまいです。

ブラインドサッカーとの出会い

焦げついたオイルの中をさまよっているような中で、自死が頭をよぎるほど、人生の奈落の底にいました。
失明から2年後に一つの出会いが生まれました。日本でスタートしたばかりのブラインドサッカー(視覚障害者サッカー)です。その出会いによって、断絶されていた昔のサッカー仲間や、音楽の友人たちと再び繋がりを持つことができ、社会との接点が生まれました。

新たなる挑戦への扉を開いて

日本vs韓国戦PK:2002年5月

ブラインドサッカーに出会い、尊い光、つまり夢や希望を感じることができました。
日本にとって初めての国際試合になった韓国戦。日本代表としてソウルで戦いました。
日の丸、エースナンバーの背番号10は正直プレッシャーを感じました。失明するまでは日の丸や背番号10番を背負うことなど夢にも見ていなかったからです。とにかく負けたくないという一心からひたすら練習を積み重ねました。フィールドに生きる意味を見出したのです。そして自由に走り回れる喜びも。
世界王者ブラジル代表、無敵艦隊スペイン代表などの強豪国とも戦いました。しかしながら、実力差は歴然としていました。
写真は日本代表として韓国代表、ブラジル代表と対峙する石井。

日本vsブラジル戦:2002年11月

そして、日本視覚障害者サッカー協会(現NPO法人日本ブラインドサッカー協会)の創立メンバーとなりました。その後、理事からより責任のある副理事長に就任し、10年間活動させて頂きました。

仲間に恵まれ、国内大会、チャリティーマッチ、アジア選手権のコアスタッフなどとして活動してきました。中でも誤解や偏見がある中、先駆的な取り組みとなった、日本で初めてとなる日本選手権を実行委員長として開催しました。スタッフも少ない中で準備したので、今までの人生で最も多忙な日々でした。

ユニフォーム姿の石井

日本代表の選手としてのみならず、数多くの大会などに携わっていたので、ほぼ全てのテレビのキー局、ラジオ局に出演。主要な新聞や雑誌などに私のことが掲載されました。

数多くの著名なサッカー選手と交流できたのも、大きな財産となっています。
そうです、ブラインドサッカーが教えてくれたんです。人と人の繋がりは素晴らしいってことを。

新たなる夢へのチャレンジ
~ボストンとミュンヘンへの留学~

ボストンの風景

日立コンサルティングと日本ブラインドサッカー協会を卒業した後、単身、チェロを担いで、アメリカのボストン大学の英語専門学科に留学しました。
学習には苦労もありましたが、それを乗り越え、年に一度のエッセイのコンペで優勝することができました。ハーヴァード・スクエアのアパートメントで一人暮らしをして、買い物、料理、毎週のように聞いたボストン交響楽団、そして深夜までパブで見知らぬ人とも飲み明かすなど夢のような生活を送りました。


街角でチェロを弾く石井

バーンスタインにも師事した経験のあるボストンで著名なマーク・ミラーという指揮者へ向けて私の中でどれだけ音楽が重要なのかを伝えました。
マークはこう言いました。「アメリカで全盲のチェリストがいるとは聞いたことがない。しかしながら、やりたいという気持ちがあるなら是非参加して欲しい」と。
そうして、夢であったボストン大学オーケストラにチェリストとして参加することができました。
プロフェッショナルを目指しているメンバーもいるので、練習は非常に厳しいものでした。そして何度かの演奏会に出演することができ、貴重な経験をすることができました。

平和な街が突然・・・

2013年5月、平和な街が一瞬にして恐怖に襲われました。世界的に有名なボストンマラソンで爆弾テロが起きました。
現場はゴール付近。私も行く予定を立てていたので、危うく難を逃れました。
リトルリーグの少年や、同じ大学の学生が亡くなるという、全米が悲しみに包まれました。
オーケストラでは犠牲者を悼んで、非常に難易度の高いマーラー交響曲第5番第4楽章『アダージェット』を献奏しました。オーケストラは犠牲者を悼む気持ちから、これ以上なくダイアモンドの結晶のように固く結び合いました。
最後のリハーサルで、オーケストラのメンバーに挨拶をする時は胸が締め付けられるものがありました。プレーヤーのみなさんも離れるのが寂しいと語ってくれました。
幸せなことに、世界的指揮者の小澤征爾先生と1時間ほどお話ができ、チェリストのヨーヨー・マさんともご挨拶できました。非常に光栄です。

みなさまへ生の声で伝えていきたい

ダイバーシティ(多様性受容)、ノーマライゼーション(等しく生きる社会)、インクルージョン(等しく参画できる社会)などという言葉を耳にします。
単なる言葉というだけではなく、ブラインドサッカー、ボストン大学オーケストラではそのような経験を数多く体験してきました。
現在はその経験を活かし、小・中・高・大をはじめとした学校、企業の社員研修としてワークショップを取り入れた講演会などで、みなさまへお伝えしています。過去の実績は約200回を数えています。

新たなるチャレンジの旅路

ユニフォーム姿で顔に水を浴びる石井

2017年9月1日に皆さんのご支援のもと、アウスリーベジャパン株式会社を設立いたしました。
日本ブラインドサッカー協会での大会の開催、ワークショップ、数多くのイベント運営の知識と経験を活かし、イベント・プロデューサーとして活動しています。
70’sの伝説的シンガーズグループのキャンディーズの解散40周年記念イベントを、代表として開催させて頂けたのは、非常に幸運で幸せなことでした。

実話を書籍に、そして映画へ

サッカーボールの音が聞こえる―ブラインドサッカー・ストーリー

著名な作家平山譲先生がこの波乱万丈の半生を一つの長編として描いて下さいました。
事実にもとづいたストーリーである『サッカーボールの音が聞こえる』(新潮社)が出版されました。高校生の推薦書ともなり、大変評価が高い作品です。

現在、『サッカーボールの音が聞こえる』を原作として、全国ロードショーを目標とした映画化が始動し、アウスリーベジャパンと代表石井宏幸は全面的なバックアップをおこなっています。

サッカーボールの音が聞こえる―ブラインドサッカー・ストーリー

小説『サッカーボールの音が聞こえる』での山場。
韓国代表との緊迫したPK戦。PKを決めた時の石井の実際の写真。(2002年5月)

アウスリーベジャパンの創業の思い

アウスリーベジャパンの合言葉はDestroy stereotypes!(既成概念をブチ壊せ)です。それは今までの人生で培った財産があるからこそ言える言葉です。
見えないからこそ、斬新な想像力が高まります。今までの数多くの経験を基に、オリジナリティーに溢れ、幸せに満ちた時間を創造するイベント・プロモーションを続けていきます!

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