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中澤 医(なかざわ おさむ)さんインタビュー 「スポーツと文化で架け橋を」

視覚障害者サッカーチームの「長野レインボー」の代表。マンドリン、ヴァイオリン奏者。そして、様々なアートを組み合わせて講演会やワークショップをおこなっている中澤医(愛称はサム)さんにお話しを伺いました。

(以下、敬称略)
石井:どこでお生まれになったのでしょうか。
中澤:長野県埴科郡坂城町です。

石井:どのような子供だったのでしょうか。
中澤:遊びまわる。田舎なので、山に行って遊んだりとか。学校から帰ってきたらカバンを放り投げて、そのまま野球をしたり、サッカーを真っ暗になるまでやっていました。

石井:学生時代はどのように過ごしていたのでしょうか。
中澤:中学の頃は見えていたので、普通校に通っていました。剣道は小学1年生からやっていました。中学3年の時に怪我をして、高校受験は病院でやっていました。高校は普通校に通っていたのですが、途中で松本盲学校に転校しました。

石井:その後、どのようにして失明なされたのでしょうか。
中澤:中学3年生の時に怪我をして、20歳の時に失明しました。他にも、足や腰の怪我もあって、友達からは次は頭だねと言われていて、それが本当になってしまった(笑)
東京の病院に通っていて、図書館で点字を習っていました。そこで勧められて筑波大学附属視覚特別支援学校(東京都)に編入しました。
10、20代は入退院の繰り返しで、5年くらい闘病生活が続きました。7年くらいは歩けない生活も過ごしていました。思うようにはいかなかったです。

石井:失明された時はどのようなお気持ちだったのでしょうか。
中澤:眼が見えなくなって、不安になりました。生きていけなくなるんじゃないかって・・・

石井:どのように失明を克服されたのでしょうか。
中澤:眼が見えなくなったり、足の怪我があったりして入院している時に、怪我をしている患者さんをみていると、辛いのにいつも笑顔で過ごしていて、夢や希望をもって生活していました。それを見ていると自分が情けなくなりました。
とにかく、今できることを一つ一つやっていきました。
僕は見えなくなったのですが、他の患者さんの車いすを押していました。

石井:
中澤:車いすの患者さんが指示してくれれば進めますから。助け合うってこういうことなのかなって感じました。

石井:退院生活が終わった後、どのように過ごしていたのでしょうか。
中澤:2002年の時に地元に帰ってきて、何かできないかと考えて、趣味のマンドリンで施設を廻ることを始めました。それで人の輪が広がりました。

石井:マンドリンはどのようなきっかけで始めたのでしょうか。
中澤:マンドリンは30歳の頃に始めました。両親はもちろん、沢山の人に支えられて這い上がることができました。社会の中で活動できることがしたいと思いました。音楽が人と人とをつなぐことができるんだなと思いました。

石井:視覚障害者サッカーを始めたのはいつ頃からでしょうか。
中澤:2008年の頃に初めて、翌年にチームを発足させました。

石井:ヴァイオリンも演奏なされますよね。
中澤:マンドリンを始めて、5年後くらいに、オーケストラの先生の勧めもあって始めました。そうしたら、どんどんとハマってしまいました。

石井:多くの活動をなされていらっしゃいますが、どのようなことを子供たちにお伝えしていきたいとお考えになっているのでしょうか。
中澤:まずは、「障害者」というものを知ってもらうということです。ただ話すということだけではなく、一緒になにかやっていく中で知って欲しいです。
例えば、小学生と一緒に花をいけたり一緒になにかを作り上げるということをしています。
視覚障害者サッカーのボールを使って、コミュニケーションの大切さを伝えています。何かみなさんに「気づき」をしてもらいたいと思っています。子供たちが大きくなって、ああいうことを言っていたよなと覚えてもらえたら嬉しいです。
たまたま先生と会って話したんですが、ワークショップを受講した一人の生徒さんが大学に行って、福祉の勉強をしたいと知った時は嬉しかったです。他にもボランティアに積極的になったという生徒もいます。講演会やワークショップが何かのきっかけになったら嬉しいです。

石井:今後どのような活動をなされていきたいでしょうか。
中澤:障害者スポーツ指導員の資格を取得しました。視覚障害者は運動不足になりがちなので、視覚障害者向けの総合型スポーツクラブのようなものを作りたいです。
好きなアートの方も積極的に進めていきたいです。

石井:日本がどのように変わっていけば良いと思われますか?
中澤:バリアフリーをやってあげてるのよという上から目線ではなく、障害者の立場になって欲しいです。
障害者に限らず、自己アピールをするとか、コミュニケーションを取るのがまだまだ少ないと思います。外国の方が来た時に躊躇してしまったりするので、気持ちが変化して欲しいです。
子供たちに3つのことを伝えています。話して伝えること、相手のことをしっかり聞く、思いやりを持って相手の気持ちに立つという重要性を伝えています。
子供たちから社会が変わるのではないかと思います。

アウスリーベジャパンでは、中澤さんの講演会やワークショップのご依頼を調整させて頂いております。
詳しくは下記アソシエイト講演会をご覧頂くか、問い合わせフォームにて、お気軽にお問合せ下さい。

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【編集者、弊社代表石井宏幸より。】
一時期、長野県で転地療養をしていたこともあり、長野の上田あたりは時折買い物をしていました。
長野県には親近感がありましたので、長野レインボーが発足してくれた時は嬉しくて、発足式にも行きました。
その時にも、サムさんのマンドリンを聴かせて頂きましたが、かなり表現豊かに演奏なされていました。
驚いたことに、地元のアマチュアオーケストラとも共演し、最近ではヴィヴァルディのマンドリン協奏曲をソリストとして出演なされたということです。
バロック音楽はロマン派とは違う難しさがあり、僕もボストン大学オーケストラではバッハの『ブランデンブルグ協奏曲第3番』を演奏した時は非常に苦労しました。
サッカー、芸術と車の両輪のように活躍する中澤さんの今後の活躍が楽しみです。

(2018年11月18日収録) AUS LIEBE Japan Inc.

© AUS LIEBE Japan Inc.

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